RAe-TEE II(RABe-EC)


 1957年から運転を開始したTEEですが、SBBではNSとの共同開発によるディーゼル動車を用いていました。しかし、電化率では欧州一を誇るSBBとしては、独力でTEE用の電車の開発を始めました。その際、スイスの技術力の高さを誇る為、当時TEEを運転していた各国(NS,SNCB,CFL,SNCF,DB,SBB,FS,OEBB)の電化区間なら何処でも走行可能な様に動力車には各国の電化システムに対応した多電源の動力車とされ、ゴッタルト峠の26‰や、アールベルク峠の33‰区間も走行出来る様に、動力車の高出力化や、電気ブレーキや電磁ブレーキ等も装備しています。

 車内は、スイス人の好みから向かい合わせのボックスタイプのオープン座席で、各車の出入り口付近にはクローゼットも設置されています。食堂車の車端にはバーカウンターも設けられています。動力車は、3軸ボギー(A1A)台車で、各国の電化システムに対応した4つのパンタグラフが搭載されています。車内は方廊下で、機器室、荷物室、税関吏室に厨房が設けられています。


 1961年7月の夏ダイヤからTEEとして営業運転に付く為、何とか営業開迄に3編成が落成しました。予備車となる4編成目が落成する9月迄は正に綱渡り的運用をこなしています。運転を開始した各列車とも営業的には成功を収め、当初5輛編成として製造されたRAe-TEE IIも混雑緩和の為1966年に中間車をもう1輛加えた6輛編成となっています。更に、1967年にはもう1編成(1055)増備されています。


 RAe-TEE IIは全車チューリヒに配属され、1961年7月1日の夏ダイヤから、チューリヒ〜ミラノ間の「ゴッタルト」「ティチーノ」とパリ〜ローザンヌ〜ミラノ間の「シザルパン」として、華々しくデビューしました。

当初の運用は以下の通りでした。

・チューリヒ−「ゴッタルト」−ミラノ−「シザルパン」−パリ
・パリ−「シザルパン」−ミラノ
・ミラノ−「ティチーノ」−チューリヒ−「ティチーノ」−ミラノ−「ゴッタルト」−チューリヒ
 その後、1965年からは「ゴッタルト」はバーゼル〜チューリヒ〜ミラノ間へと運転区間が広げられています。また、1967年からは「シザルパン」のパリ〜ローザンヌ間の混雑緩和用に増備され、パリ〜ローザンヌ間は重連の12輛編成で運転されるようになりました。TEEの運転区間、運転本数ともますます拡大され、特に「シザルパン」の人気は高く、固定編成のRAe-TEE IIでは運用上制限が多い為、1974年3月からは「シザルパン」はSNCFのミストラル69客車へと置き換えられています。同年5月には「ティチーノ」が廃止された為、これら2列車分の余剰車を使用して、1974年夏ダイヤからブリュッセル〜ルクセンブルク〜チューリヒ間に「イリス」が新設されました。また、同時に同区間で運転されていた「エーデルワイス」もRAm-TEE IからRAe-TEE IIへと置き換えられています。


 1970年代にもなると、1等車だけで編成されたTEEにも限りが見え始め、国際列車の主力は2等車も連結したICへと移行し始めます。その為、「エーデルワイス」が1979年5月に、「イリス」が1981年5月に、それぞれ客車列車化されICへと変更されています。この結果、RAe-TEE IIは完全に余剰車となり、「ゴッタルト」以外は団体貸し切り用等として使われるようになりました。
 1981年にドイツのルフトハンザエアポートエクスプレスに習って、スイスエアーがこのRAe-TEE IIを使用した「Swissair-Zuege」をバーゼル〜チューリヒ空港間で運行しましたが、直ぐ廃止されてしまいました。
 そして、1984年にTGVがローザンヌへ乗り入れを開始すると、ベルン〜フランスネ間のベルンからのTGV連絡列車として使用されるようになりました。その際、食堂車と5、6号車が車内設備はそのままで2等車扱いとされています。



 1988年には遂に1/2等車の編成(RABe-EC)へと全車へと改造されています。その際、5、6号車は通常の2等車同様2−2の座席配置へと変更されています。また、食堂車も方向転換され、バーカウンターが動力車の厨房側となり、食堂が定員16人へと縮小され、残りのスペースは2等車へと改造されています。同時にカラーリングもクリーム/レッドのTEEカラーから、グレーの濃淡にホワイトのラインへと変更され、現地では「グレイマウス」「シルバープファイル」等と言う愛称名が付けられました。
 そして、RAe-TEE IIからRABe-ECへの改造に辺り、ベルン〜フランスネ間のTGV連絡列車の運用からも外れています。ただ唯一TEE運用として残っていた「ゴッタルト」も1988年冬ダイヤからはチューリヒ〜ミラノ間のEC「ゴッタルト」へと衣替えしました。更に翌1989年夏ダイヤからは「ゴッタルト」はチューリヒ空港まで運転区間が延長され、同区区間に「マンツォーニ」が、ジュネーブ〜ミラノ間に「シザルパン」「レマーノ」「ルテティア」と、RABe-ECを使用したECが大増発されています。
 しかし、固定編成の弱点である波動輸送への対応が難しく、1993年夏ダイヤではRABe-ECの運用が全面的に見直されました。ゴッタルトルートの「マンツォーニ」が廃止され、シンプロンルートの「シザルパン」「レマーノ」「ルテティア」は客車列車へと変更されています。それと同時にチューリヒ〜シュツットガルト間に「キレスベルク」「ウェトリベルク」が新たにECとして増発され、更に客車列車で運転されていたベルン〜フランスネ間のTGV連絡列車も、再びRABe-ECへと変更されています。
 1995年夏ダイヤからは、「ゴッタルト」も廃止され、定期運用はベルン〜フランスネ間のTGV連絡列車のみとなってしまいました。ベルン〜フランスネ間のTGV連絡列車も、1998年夏ダイヤからは1往復だけビ−ル経由で運転される様になりました。翌1999年夏ダイヤからは全列車がビール経由へと変更されています。
 そして、いよいよ1999年冬ダイヤからはついに定期運用から外されるようです。


製造年 1961/1967年
車重 296t(259)
出力 2310kW
全長 149759mm(125300)
最高速度 160km/h
製造 SIG/MFO
機番 1051−1055
製造輛数 5編成
備考 ()内は5輛編成の値









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